ホワイトヘッド関連のウェブサイト・解説動画
ウェブサイト
日本ホワイトヘッド・プロセス学会
http://whitehead-japan.com/
The Center for Process Studies@Claremont, CA, USA
http://www.ctr4process.org/
International Process Network
http://organicism.org/processnetwork/
Whitehead Research Project@Claremont, CA, USA
http://whiteheadresearch.org/
Whitehead International Film Festval@Claremont, CA, USA
http://whiteheadfilmfestival.org/
8th International Whitehead Conference@上智大学, 東京
http://iwc8-japan.com/
Process Philosophy for Everyone
http://www.processphilosophy.org/
Process Thoughtの解説動画サイト
http://www.jesusjazzbuddhism.org/what-is-process-thought.html
Jesus Jazz and Buddhism: Keith Puryear のアート作品
http://www.jesusjazzbuddhism.org/novel-harmonies-and-other-existing-things-whitehead-and-the-art-of-keith-puryear.html
ホワイトヘッド哲学のアート的表現(小阪淳×吉田幸司)
http://tetsugakusha.net/whitehead_art/
ホワイトヘッドとプロセス哲学の解説動画
「哲学プロジェクト:A. N. ホワイトヘッド」(Philosophy Project – Alfred North Whitehead)
「アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドのプロセス形而上学」(”The Process Metaphysics of Alfred North Whitehead (*1861, †1947)”)
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは、時代を先駆けるような偉大な哲学者の一人である。プロセス神学は、『過程と実在』を主著とする彼の哲学にもとづいている。彼の哲学はプロセス哲学とも呼ばれるが、それは、宇宙の基本的な実在は物質や数ではなくて、プロセスであると考えることを示している点で、適切な呼称といえよう。1924年に米国のハーバードに移ったあと、彼は形而上学に取り掛かったのだが、形而上学は、その中に人間に関する主題を含むことによって、自然哲学とは異なるものと理解される。最終的な目的は、様々な人間の関心に見合う世界観を見つけることである。特に、ホワイトヘッドは、「有機体」というメタファーを使い、自然は有機体によってできていると考える。そして有機体は電子、原子、分子、細胞、組織、器官、生態系、太陽系、宇宙など、様々なレベルの複雑性の有機体からできている。これら全ての有機体は、ホワイトヘッドによると、物的な極と心的な極をもっている。それらは、生きているのであり、自由な生き物である。それが、ホワイトヘッドが「創造性creativity」という究極の範疇で意味するところのものである。人類は、行動が因果的に完全に決定されたものではなく、自己決定の要素をもっている。プロセス哲学者は、進化論の考えを好み、物事が常に移り変わると考え、また、神が宇宙の進化論的な発展など、全てに関わると信じている。それは超越的な仕方によってではなく、また介在という仕方によってでもない。なぜなら神は全てに存在しているからである。神の実在もプロセスにあり、宇宙は神にとっても、我々と同じように冒険だと考えられる。
「A. N. ホワイトヘッド:イントロダクション」(”A. N. Whitehead – Introduction”)
アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドは数学者であり哲学者であった。彼の業績は主に3つの面にわけることができる。第一に彼は数学者であり、バートランド・ラッセルの師であった。その後、ホワイトヘッドは科学哲学者になった。そして彼は科学的なパラダイムの欠陥を信じていたので、彼は彼の形而上学を発展させた。彼の形而上学は万有在神論と呼ばれている。汎心主義はすべての存在は感覚や経験をもっており、神が自然の中に実在すると考える万有在神論と結合されている。それはよく汎経験主義と呼ばれる。ホワイトヘッドは自ら有機体の哲学を作り、それはプロセス哲学としても知られている。なぜかといえば、すべての存在は、有機体である。「生物学は、比較的大きい有機体の研究であり、物理学は比較的小さい有機体の研究である。」それはプロセス哲学として知られている。なぜなら固定的な実体はなく、ただ事柄や出来事、プロセスがあるだけだからである。さて、もっとも小さなプロセスは現実的生起(actual occasions) や現実的存在(actual entities)と呼ばれる。これらは自然を構成する、経験の雫である。現実的存在は世界のパースペクティブであり、ライプニッツのモナドに似ている。移り変わり、生成し消滅する。現実的存在のプロセスは、現成(合生concrescence)と呼ばれている。そしてそれは現実的存在を生み出す最初の主観的な目的を含んでいる。ほかの現実的存在の抱握(prehension)、プロセスを完成する決定や満足へ導く主体的目的。初めの主体的目的(initial subjective aim)は、経験的なパースペクティブを引き起こす万有在神論的な神から伝えられる。現実的存在は他の現実的存在を抱握する。しかし、対象についての表象(representation)の伝統的な関係ではなくて、むしろ現実的存在の抱握はその現実的存在の現実的な包含である。そこには完全な主体と客体の二分はない。現実的存在が、その抱握で担うようなタイプの質は、永遠的客体と呼ばれる。これらの永遠的客体、形而上学的な純粋な可能性は神の内に存在している。抱握は、ポジティブでもネガティブでもあり得る。あるいは、物理的、概念的でもありうる。………
「プロセス哲学の説明」(Process Philosophy Explained)
ホワイトヘッドは物体は存在しないという。物体が存在しないのならば何が存在するのか、何が存在できるのか。存在するのは「プロセス=過程」であり、全てはプロセスである。出来事だけが実在するのだ。しかし、プロセスを経るところのものがあるにちがいない。それらは時間を通して存続する物質的なものではないのか。それは違う。存続する実体(物体)の現象は単に我々の限られた見方によるものである。しかし、原子はどうか。原子はそれ自体存続する物体ではないのか。それは違う。原子も、陽子、中性子、電子のような原子より小さな微粒子から出来ている。クォークそれ自体はエネルギーによってできている。しかしそれはエネルギーそれ自体ではなく、実体ではない。違う、エネルギーは対象間の関係性である。対象それ自体は物質から出来ているからできていて、そのエネルギーは関係性から出来ているので、我々は奇妙なループから抜け出すことができない。宇宙は関係性の集合なのである。それらの関係性は固定的なものではない。なるほど。つまりあなたは物体がプロセスを経るのではなく、むしろプロセスが第一のものであり、我々が物体と呼ぶところのものは、そのプロセスによって生み出された一時的なかたちに過ぎないと言っているのですね。その通りです。それはすべてを変えてしまう考えですね。説明ありがとう。いいんですよ。むしろあなたの科学的パラダイムを覆してしまってごめんなさいね。心配いりませんよ。いつか、リベンジしますから。
「プロセス神学の基礎」(”Fundamentals of Process Theology”)
少年だったころ、私は自分が周りの世界、そして神について、それが誰なのか、何なのかという問いを問うていることに気が付いた。成長していってもこれを問うことは止まらず、私は後に神の説明を見つけることではじめて、ついにその意味を理解することができた。それはプロセス神学、もしくはプロセス思想と呼ばれるものである。この神学は19世紀初頭イギリスの数学者、アルフレット・ノース・ホワイトヘッドによって提唱された。プロセス神学は、全てのものはお互いに深い関係性の中にあると主張する。私はホワイトヘッドの著作は、密度が濃く学術的で理解するのが難しいと思った。私はこのビデオを、この思想の分野に近づきやすいようにと願って創った。ホワイトヘッドは、神が人知を超えた側面をもっており、我々が神との深い関わりの中にいることを信じていた。プロセス神学は、伝統的な神学とは異なり、神と宇宙を区別したものとして同定しない。むしろ神を宇宙の部分であると同時にそれを越えたものとして、つまり、万有在神論の概念で理解する。あるプロセス神学者は、神は水のように宇宙の全ての隅や割れ目に浸透していると主張した。神のこのような側面は遍在と呼ばれる。ホワイトヘッドは、一つの実在である神が二つの全く異なる部分を持っていると考えていた。一つ目の側面は原初的本性であり、常に創造のための究極的な善と完全性を持っている。この側面は人為と人知を超えたものである。二つ目の側面は結果的本性であり、人間と神とが相互に作用する部分である。我々はそれを変えるし、それも我々を変える。神のこの側面は、神が我々の痛みや幸福を感じるということを提起し、我々のすべての状況を感じそして理解する、生ける神や人格神と呼ばれる神の側面である。神の原初的本性は、自然の知識の結果を取り入れ、関係性への反応の秩序を変える。それがより偉大な全体をもたらすのである。この人間と神との複雑な関わりを更に説明するためにホワイトヘッドは、神は我々の全ての過去の経験を取り入れ、抱握prehensionと呼ばれるプロセスを通してそれらを用いることができたと理論立てたのである。神は全てのものに、我々の関係性から介入し、具現と呼ばれるプロセスを通して、より良い状況へと変えるためにこれらの相互作用を用いる。具現を通して、我々は常に選択を与えられている。この目的の受容は、我々をより良い世界へと向かわせる。一方で我々がこの目的を拒絶した際には世界は悪くなるだろう。プロセス思想の神は、我々の世界を支配しているわけではない。いやむしろ神は世界をより良い状況へと緩やかに支配しているのである。これは神の深い愛であり、常に我々により良いものを確信させるのである。
「プロセス思想とは何か―導入」(”What is Process Thought? – Introduction”)
「プロセス思想とは何か」という我々の講座へようこそ。これはホワイトヘッドに関する講座です。私はJ・マクダニエルです。そして「プロセス思想とは何か」という題の論文を含む数冊の本の著者でもあります。そしてこの授業はその論文をもとにしています。そして私はアメリカのアーカンソー州、コンウェイにあるヘンドリックスカレッジの教授です。カリフォルニアのクレアモントにあるプロセス研究所のアドバイザーでもあります。そして中国の北京、カリフォルニアのクレアモントにある中国の研究所のメンバーでもあります。あなたたちは、プロセス思想とは何かと問うでしょう。私は一般的な定義と共に、より明確な定義を与えましょう。一般的に言って、プロセス思想はすべての物事の創造性や同情、結合を重視する、人生(life)に対する態度です。それは人生に対する見方、世界観、宇宙を理解する方法でもあります。それは、水や岩の中にも創造性のようなものがあると言います。エネルギーがあるところにはどこでも創造性のようなものがあるのです。そしてもちろんプロセス思想は、人間の中にも同じようにエネルギーがあるといいます。プロセスの観点から見るならば、全ての人が唯一無二であり、それぞれの人が自らの能力を知恵や、同情、創造性のために実現することができます。世界についてのプロセスの見方は、世界が共同体の中の共同体の中の共同体である、というものです。他の言い方をするならば、我々は創造的であわれみ深く、公平で、生物学的に聡明で、多様性に敬意を表し、誰も忘れられることなく精神的に満たされる共同体を築くことができます。さらに明確に言うと、プロセス哲学は哲学者であり数学者であるアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの観点に影響を受けた、人生を見る考え方です。彼は哲学的な見方を、科学、芸術、倫理、そして宗教を世界を見る一つの方法に結合させることによって発展させました。
彼は、世界や宇宙が継続している一つの生成のプロセスであることを強調しています。つまり、それがプロセスという語の意味ですが、彼は生成には複数のパターンがあることも強調します。そこには秩序があり、斬新さがあります。そしてあなたがプロセス思想という言葉を聞くとき、あなたは流動性、流れ、相互連結、循環するパターンについて述べる見方について考えるでしょう。プロセス思想家は、哲学者、教育者、神学者、芸術家、ビジネスマン、店員、母親、父親、10代の人を含んでいます。彼らはアジアやアフリカ、ラテンアメリカ、北アメリカ、ヨーロッパなど、世界のあらゆるところに住んでいます。そしてあなたが彼らを見つけるところではどこでも、彼らはホワイトヘッドの思想の側面と、現地の文化的、宗教的、哲学的伝統の側面を結合させています。なのでユダヤ教のプロセス思想や、イスラム教のプロセス思想、キリスト教のプロセス思想、仏教のプロセス思想、ヒンズー教のプロセス思想、宗教ではないが霊的なプロセス思想があるのです。プロセス思想は宗教の価値を認めますが、それは宗教ではありません。プロセス思想家の中には全く信心深くない人もおり、無神論者の人もいます。なのでホワイトヘッドの伝統のプロセス思想への最もよい考え方は、人生の見方、人生に対する態度です。それにはホワイトヘッドからの影響があり、また宗教からと同様に、非宗教的なものからも、様々な観点から考え方を用いているのです。
この講座の目的は何でしょうか。それはプロセス思想、そしてホワイトヘッドの伝統への導入を提供することです。我々はホワイトヘッドの著作『過程を実在』の一部を丁寧に読むことから始めたいと思います。。始めるにあたり、プロセス思想の伝統の全体を、木として想像するのが役に立つでしょう。根はホワイトヘッド哲学の特有の考えであり、あなたはこの講座からそれを学ぶでしょう。幹はプロセス思想家に重要な一般的な考えから成り立っており、ホワイトヘッド特有の思想に言及することなしに理解することが可能です。枝は個人的そして社会的な生活に適用される一般的な考えから成り立っています。あなたがプロセス思想について考えるとき、そしてプロセス思想について学びたいとき、あなたは葉の部分から、つまり応用の部分から始めることができます。もしくは幹から始め、プロセス、相互連結、自然への敬意、創造性、あわれみ、傷つきやすいものへの心配、などの一般的な重要な種類の考えから始めることもできます。これらは全て、プロセス思想家において重要な一般的な考えです。もしくは我々がしようとしているように、根から始めることもできます。『過程と実在』は非常に難解な著作であることをあなたは理解するでしょう。しかし私はあなたがそれを理解するのを助けます。そしてこの講義の至るところにおいて、私はプロセス思想における抽象的な考えと、人間の経験のつながりを取り出したいと思っています。我々は序文から始めたいと思います。それは4ページしかありません。そしてその本の最初において、ホワイトヘッドはこの著作の執筆の目的を説明しています。我々は序文を読み終わえたら、テキストの核心部分に移りたいと思います。それでは始めましょう。