『プラグマティズム』

Pragmatism, 1907.
邦訳:
ウィリアム・ジェイムズ 『プラグマティズム』、舛田啓三郎訳、岩波文庫、1957年。
ウィリアム・ジェイムズ著作集5 『プラグマティズム』、桝田啓三郎訳、日本教文社、1960年。

『プラグマティズム―ある古い考え方をあらわす新しい名前』
目次
序 1907年4月(1906年11-12月ボストンのロウエル学会, 1907年1月ニューヨークのコロンビア大学において講述されたもの)
第1講 哲学におけるこんにちのディレンマ 1906年11-12月, 1907年1月
第2講 プラグマティズムの意味 1906年11-12月, 1907年1月
第3講 若干の形而上学的問題のプラグマティズム的考察 1906年11-12月, 1907年1月
第4講 一と多 1906年11-12月, 1907年1月
第5講 プラグマティズムと常識 1906年11-12月, 1907年1月
第6講 プラグマティズムの真理観 1906年11-12月, 1907年1月
第7講 プラグマティズムと人本主義 1906年11-12月, 1907年1月
第8講 プラグマティズムと宗教 1906年11-12月, 1907年1月

“ジョン・ステュアート・ミルにささぐ
 私が初めてプラグマティックな心の寛さを学んだ人、また、なお世にいますならば、われらの指導者として仰ぎたく思う人であるから”

・以下の講義は1906年11月および12月ボストンのロウエル学会において、また1907年1月ニューヨークのコロンビア大学において講述されたもの。


・この種の書物、いくつかの参考書:アメリカにおいては、ジョン・デューイの『論理学の研究(J. Dewey: Studies in Logical Theory)』が基本的なもの。『哲学評論(Philosophical Review)』第15号113頁および465頁、『マインド(Mind)』第15号293頁、『哲学雑誌(Journal of Philosophy)』第4号197頁の論説も参照。F. C. S. シラーの『ヒューマニズム研究(F. C. S. Schiller: Studies in Humanism)』の第1、第5、第6、第7、第18、第19章の諸論文。J. ミローの『合理的なもの(J. Milhaud: Le Rationnel)』(1898)。『形而上学評論(Revue de Métaphysique)』第7、8、9巻におけるル・ロワ(Le Roy)の論説。『キリスト教哲学年誌(Annales de Philosophie Chrétienne)』第4集第2巻、第3巻所載のブロンデルとド・サイイの論作も参照。
・プラグマティズムと根本的経験論の独立性:「少なくとも一つの誤解を避けるためにことわっておきたいが、私の理解しているようなプラグマティズムと最近私が「根本的経験論」として述べた教説との間には、なんら論理的な関連はない。根本的経験論はそれ自身が独立したものである。ひとはそれを全く拒否してもなおプラグマティストたることができるのである。」
1907年4月 ハーヴァード大学にて

第1講 哲学におけるこんにちのディレンマ

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第2講 プラグマティズムの意味

37:形而上学的な論争。木の回りを駆け回るリスと人間の例。「まわりを廻る」が実際にどういう意味でいっているか実際的にどう考えるか。
38:プラグマティックな方法。形而上学上の論争を解決する一つの方法(⇒ジェイムズは、形而上学を現実の事実に結びつけようとしていたとみえる。)
38:世界は一か多か?宿命的か自由か?物質的か精神的か?
39:プラグマティックな方法とは、「各観念それぞれのもたらす実際的な結果を辿りつめてみることによって各観念を解釈しようと試みるものである。」ある観念の真、実際上の違い、実際的な差異。論争の解決。
39:プラグマティズム:ギリシア語のプラグマから来ていて、行動を意味し、英語の「実際practice」および「実際的practical」という語と派生を同じくする。この語がはじめて哲学に導き入れられたのは、1878年チャールズ・パースによってであった。『通俗科学月報』1月号掲載「いかにしてわれわれの観念を明晰にすべきか」(1879年1月の『哲学評論Revue Philosophique』(第7巻)に訳載されている)。パース:われわれの信念こそほんとうにわれわれの行動を支配するものである。およそ一つの思想の意義を明らかにするには、その思想がいかなる行為を生み出すに適しているかを決定しさえすればよい。その行為こそわれわれにとってはその思想の唯一の意義である。思想の差異、実際上の違い、実際的な結果、結果、概念の全体。
40:パースの原理、プラグマティズムの原理。
40-41:具体例:ライプチヒの化学者オストヴァルトの科学の哲学。「もし二者のうちこれか或いはあれかが真であるとしたら、世界はいかなる点で異なってくるであろうか。もしなんら異なりの生ずるのが見られないとすれば、その場合どちらか一方を択ぶということは意味のないことである。」(cf. ライプニッツの不識別者同一の原理。)水素原子。ブラウニーと呼ぶかエルフと呼ぶかのように架空の論。(cf. リスは廻っているかの論争の例。)
42:差異を作らない差異なるものは存在しない。差異、行為。
42:プラグマティックな方法には何も目新しいものはない。ソクラテスもアリストテレスも…プラグマティズムの先駆者。但し、断片的。前奏者。一般化されてこなかった。
43:プラグマティズムはなんらか特殊な結果を表すものではない。ただ一つの方法であるに過ぎない。しかしこの方法が成功すれば、哲学の気質に変化が起きるだろう。極端な合理論的タイプの教師たちは、いたたまれなくなる。「科学と形而上学とは更にいっそう接近し、事実において全く相提携して働くに至るであろう。」
44:形而上学はこれまで原始的な種類の研究に従うのが普通であった。魔術、妖精、魔神、悪魔、魔力。言葉が大きい役割を果たしてきた。言葉もしくは名前が照明力あるいは動力を与えてきた。その言葉は宇宙の原理。この言葉の所有が宇宙そのものの所有。「神」「物質」「理性」「絶対者」「エネルギー」は謎を解こうとする名前。これさえ得れば、形而上学的研究の目的は達せられた。
45:プラグマティックな方法に従えば、そういう言葉を得て研究が終わりとは考えられない。そういう言葉の実際的な掛け値のない価値を明示して、諸君の経験の流れの中に入れて実際に活用してみなければならない。かかる言葉は解決であるよりもむしろこれからの仕事のためのプログラム。現存の実在がそういう風に変化されてゆくかもしれないその方向の暗示だと思われる。
45:学説は、安息できる謎の解答ではなくて、謎を解くための道具であるということになる。学説の上に安住することなく、前進する。プラグマティズムは、それぞれの学説を互いに円滑に働かせようとする。新しいものではないから、古来の哲学的傾向と調和する。名目論とも功利主義とも実証主義とも。(…「ただ言葉の上だけの解決や無益な穿鑿や形而上学的な抽象を軽蔑する点において実証主義と一致する。」悪い意味での形而上学をこのように暗示している。)
45:これらは反主知主義的傾向のもの。プラグマティズムは合理論と戦えるが、特殊な結果を目指して戦うものではない。それは、その方法のほかになんら定説も主義ももっていない。それは、ホテルの廊下のように、学説の中央に位している。無数の室がある。無神論、信仰、化学者、理想主義的な形而上学の体系、形而上学の不可能の証明…。(ジェイムズの中立性がここにもある。形而上学も学説の一つ!?)
46:プラグマティックな方法は、特殊な結果ではなく、定位の態度であるに過ぎない。すなわち、最初のもの、原理、「範疇」、仮想的必然性から顔をそむけて、最後のもの、結実、帰結、事実に向かおうとする態度なのである。
46:真理論。帰納的論理学。諸科学を発達せしめた諸条件の研究。自然の法則や事実の要素、斉一性、法則。全能なる神の永遠の思想。
47:しかし科学が更に進歩を遂げるにつれて、われわれの有する法則の大部分は、否おそらくは全部が、単に近似的なものであるに過ぎないという考えが有力になってきた。研究者は、どの学説も絶対に実在に写したものではなく、ただ或る見地からみれば有用でありうるというに過ぎないと考えるようになってきた。これら諸説の大きい効用は古い事実を要約し、新しい事実に導くことにある。諸説は所詮、人造語。
48:人間の恣意が科学的論理学から神的な必然性を駆逐した。ジークヴァルト、マッハ、オストヴァルト、ピアソン、ミロー、ポアンカレ、デュエーム、リュイッサン。
48:シラー、デューイ。科学的論理学。われわれの観念や信念における「真理」は、科学においていわれる真理と全く同一のものである。つまり、真理とは、観念(それ自身われわれの経験の部分に過ぎないものであるが)が真なるものとなるのは、この観念によってわれわれの経験の他の部分との満足な関係が保たれうるからであり、経験の他の諸部分を統括することができるし、また無限に相次いで生ずる特殊な現象を一々しらべなくとも概念的近路を通って経験部分の間を巧みに動きまわれるからである、というにほかならない。関係、道具。「道具的」真理観(デューイ)、シラーの真理観(われわれの観念が真理であるというのは、その観念が「働く」力をもっているということであるとする見方である。
49:このような一般的概念の把握に至ったのは、地質学者や生物学者や言語学者の例に倣ったまでのこと。これら他の諸科学が科学として確立されるに成功した所以は、・・・目の前に観察できる何か簡単な現象をまず捉えて、それをあらゆる時代にあてはめながらそれを一般化し、そうしてもろもろの時代に通ずるその結果を加え合わせて大きな結論を引き出す、ということにあった。
49:一般化を試みようとした、観察のできる課程は、誰でもが新しい意見を抱くようになるときに辿るところの過程である。旧い意見のストック、旧い意見を動揺させる新しい経験、旧い意見の否定、矛盾、相容れない事実、満足できない欲望、内的な苦悶。一群の意見の修正。
50:しかし修正はできるだけしないですませようとする。なぜか。信念、保守主義者。この意見を変え、次にあの意見をと進んでいく。旧い意見は変化しまいと抵抗する。そのうち旧い意見のストックに加えてもそれをかき乱すことがない一番少ない或る新しい観念、すなわち旧い意見のストックと新しい経験とをとりもって、両者をつきまぜ、不都合を感じさせない観念が浮かび出てくる。
50:この新しい観念が真なるものとして採用される。極端でないものを見つけるまでは探し回る。旧い秩序を大部分残す。新しい真理とはつねに心の変遷過程の媒介者、調停者である。最小の動揺と最大の連続性。一つの理論が真であるかは「最大と最小の問題」をどの程度解決し得ているかに比例して計られる。満足。
51:旧い真理の演じた役割。人を支配している。旧い真理に忠実であることが第一原理、唯一の原理。新奇な現象を無視するか罵る。
51:真理成長の過程の実例。新しい種類の事実、もしくは種類は旧いものと同じであるがただ目新しいだけの事実を、われわれの経験にただ数的に加えてゆく場合―旧い信念の変化を少しも含まない附加である。日々の内容は単に附加されるだけである。附加される新しい内容それ自身が真であるのではない、それは単に来てそして在るだけのことである。真理とはその新しい内容contentsについてわれわれが語るところのものである。新しい内容が来たとわれわれがいう時、真理の要求はかかる簡単な寄せ算的公式によって満たされるのである。
52:ラジウムの例。エネルギー保存の法則。「潜在的」エネルギー。ヘリウムの発見。ラムゼー。旧いエネルギー観を拡張するものではあるが、その本質については、最小限度の変更しか惹き起していないからである。
新しい意見は、新しい経験を、ストックされている信念に同化せしめようとする個人の要求を満足させる程度に正比例して、「真」と考えられる。新しい意見は旧い真理に頼るとともに新しい事実を捕らえねばならない。各人の評価の問題。だから、旧い真理が新しい真理の附加によって成長してゆくといっても、主観的理由による(つまり、各人の評価)。心的作用。新しい観念はその働き方によって、みずから真なるものとなり、みずから真なるものの列に加えられゆく。旧い真理体に移植され、その成長は木が新生組織の新しい繁殖の活動によって成長するのと同じ。
53(p.515):デューイ、シラー。観察を一般化。旧い時代の真理に適用。それらの真理もかつて形成されたもの。なおいっそう旧い時代の真理と、その当時においては新奇であった観察との調停の訳を果たした。客観的な真理、それを確立するにあたって経験の先立つ部分と新しい部分とをめあわすことに人間的な満足感を覚えさせるという機能がなんらの役割をも演じなかったというような真理などは、どこにもありえない。「真である」とは仲人役を意味するに過ぎない。
様々な真理。真理は旧び、化石化する。しかしどれほどふるい真理であっても、柔軟性に富んでいる、ということが、論理学的・数学的観念の変化、否、物理学さえの変化によって示されている。古代の諸方式は、広範な諸原理、現在の形や方式に至るとは夢想だにしなかった諸原理の特殊な表現として解釈し直されている。
54:シラー。このような真理観全体に人本主義Humanismという名前を与える。プラグマティズムという名前の方がよい。
プラグマティズム:第一に方法、第二に真理といわれるものの発生的理論。
このあとの要約。常識、思想、真理の発展における主観的な要因と客観的な要因。
55:シラー、デューイ。合理論の批評。合理論:絶対的実在とわれわれの思想との絶対的な一致。無条件的にそう考えるべきもの。心理学ではなく、論理学。
プラグマティストは事実と具体性に執着。真理を特殊な場合場合におけるその働きに着目して観察し、一般化していく。合理論者は真理は常に一つの純粋な抽象概念。
56:プラグマティストは、なぜ我々がそれに従わねばならないかの理由を説明。合理論者は、抽象概念がとりだされた具体物を認められない。×具体性。
プラグマティズムの具体性と事実への近接性が、プラグマティズムの最も首肯できる特徴。この点で、それは、既に観察されたものによっていまだ観察されないものを解釈するという姉妹諸科学の例にならうに過ぎない。旧きと新しきを調和的にひき合わせる。
57:プラグマティズムは経験論者的な考え方と、人間存在のより宗教的な要求をうまく調和させる。
当世は事実を重視しない観念論の立場に立つ哲学。観念論哲学は主知主義的。有神論は神を高いところにいる君主のように考えている。神の巧みな設計をみようとしていたいときは具体的な現実との接触を保っていたが、ダーウィン説が「科学的な」頭脳から神の設計を取り除いてからは、足場を失った。内在的な、もしくは汎神論的な神の方が歓迎される。哲学的宗教にあこがれる人たちは、観念論的汎神論に向かいつつある。
58:しかし事実の愛好者、経験論的な心の持ち主である限り、汎神論とは同化しがたい。純粋な論理の上に打ち立てられた絶対主義で、具体性とは関係をもっていない。神の身代わりの絶対精神こそ、事実の特殊性の合理的な予想条件である。絶対者が事実を生み出す。
59:プラグマティズムは、事実に執着するといっても、唯物論的偏見をもっていない。抽象物が現実的に実りを結ばせる限り、抽象物を作り上げるのに異議をさしはさまない。神学も否定しない。その諸観念が具体的生命にとって価値を有することが事実において明らかであれば、それらの観念はその限りで善である。そして真である。
プラグマティズムの立場から解釈すると、先験的観念論でいう絶対者は、尊厳なもの、宗教的な慰め。その限りで真。絶対者の信者、彼らの信仰:絶対者にあっては有限なる悪は「制圧されている」。宇宙は個々の成員が時には心のはりをゆるめてよい組織体。絶対者の現金価値。
61:観念は、それを信じることが我々の生活にとって有益である限り「真」である。有益である限りで善。観念の助けを借りてなすことが善であれば、観念自身も善。真理は善の一種。真なるもの、信仰、善。よき生活、その観念を信じる、利害と衝突する場合を除いて、よりよい。
62:「それを信じる方がわれわれにとってよりよいもの」:真理の定義。「われわれの信ずべきもの」とほぼ同じ。よりよきものと真なるものは引き離せない。
63:よりよいものは、その信仰がたまたまわれわれの死活を決するような他の利害と衝突するような場合を除いては真である。それは、はじめに抱いていた信仰と両立しないとわかる他の信仰によって与えられる利益なのである。いいかえると、われわれの真理のどれでもの最大の敵は、われわれが現にもっている真理以外の真理であろう。絶対者への信仰:衝突の例。ジェイムズの別の真理と衝突する。
64:論理、形而上学上の逆理?違う。ジェイムズなら人生の苦労。絶対者を放棄。精神の休暇を採用するか、別の原理を正当化するか。
プラグマティズムは仲介者、調停者。いかなる偏見もドグマも準拠となる条規もない。宗教の領域では、実証主義的経験論と、宗教的合理論よりも有利な地歩をしめる。神の探求の範囲を拡大する。論理も感覚も、個人的な経験も。神秘な経験もそれが実際的な効果をもっている場合には考慮する。
65:神の探求の範囲を拡大する。合理論、経験論、論理、個人的な経験。神秘経験。プラグマティズムの真理の公算を定める唯一の根拠は、われわれを導く上に最もよく働くもの、生活のどの部分にも一番よく適合して、経験の諸要求をどれ一つ残さずにその全体と結びつくものということである。

真理、順調に運ぶ観念、道具、新しい意見、真理成長(訳48)
絶対者のプラグマティズム的解釈(訳59)
真、信仰、善、歯や胃に善きもの、よき生活、信じる、死活の利害衝突以外のよりよい=他の信仰による利益との衝突、真理以外の真理(訳62)
合理論は論理と天空に執着する。経験論は外的な感覚に執着する。(訳65)

第3講 若干の形而上学的問題のプラグマティズム的考察

物質か精神か、実際上の違いは?過去については変わりはない。(訳75)
将来のプログラム、世界は何を約束するか、未来展望(訳79)
宇宙進化の将来の果て、死の悲劇、何も残らない(訳80)
唯物論は道徳的秩序の永遠の否定と希望の切断、唯心論は希望の飛翔(訳83)
絶対的なもの、究極、包括は哲学的な関心事、優れた精神は感じている、唯心論は約束の世界、唯物論は失望の海(訳84)
自然界の設計、キツツキと幼虫、設計の存在証明、設計された目的、ダーウィン説、不適合で滅ぼされた結果、自然の浪費の莫大さ、悪意の設計者、観点、幼虫にとって悪魔(訳84)
神学者、ダーウィン、目的論と機械論、私の靴の設計者、設計が何であるか、設計者の立証、空虚な原理である設計(訳87)
設計という抽象語は空弾、いかなる設計か、いかなる設計者か、事実の研究がおおよその解答を得る唯一の方法 、事実を研究し設計者があると確信する人はプラグマティックな利益を得る、設計は、将来を約束する名辞となる(訳88)、未来への展望
自由意志も、絶対者、神、精神、設計と同様、約束説、内容はない、楽園だったら思弁への興味を冷却する、宗教的な形而上学への関心 、事実において経験的な未来が不安定を感じさせて保証を要求するから(訳92)
善くなるかもしれない可能性、主知主義者の意味だと暗闇で意義がないが、ほのぼのと明るくする=プラグマティズム 合理論の定義はいらない、前方に目を向ける、死活の問題は世界がどうなっていくか、人生はどうなるか、事実の世界、科学的な人々によって哲学の問題が論じられる(訳 94)

第4講 一と多
第5講 プラグマティズムと常識
第6講 プラグマティズムの真理観
第7講 プラグマティズムと人本主義
第8講 プラグマティズムと宗教

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宇宙の捉え方
・各人の哲学:チェスタトン(Chesterton)の『異端者』の序文引用:「一人の人間に関して最も実際的で重大なこと(the most practical and important thing)は、その人の抱いている宇宙観(his view of the universe)。」それぞれが何らかの哲学をもっている。その哲学がそれぞれの世界におけるパースペクティブを規定していくその仕方(the way in which it determines the perspective in your several worlds)である。
・「哲学はわれわれ個人個人が宇宙(the cosmos)の緊張圧力の全体を見かつ感ずるまさしくその仕方(our individual way of just seeing feeling)なのである。」

・デューイら友人や同僚たちへの言及。プラグマティズムの創唱者(パース)への言及。

気質と衝突
・哲学の歴史の大部分は、「人間の気質human temperamentsの衝突ともいうべきものの歴史」である。哲学するにあっては、自己の気質を隠し、没人格的な論拠のみを主張する。だが、実は気質の方が強く哲学者の傾向を定める。気質は、それぞれ哲学者に直接の証しを与えて、感傷的に傾く宇宙観(view of the universe)や冷酷な宇宙観を抱かせる。自己の気質に適する宇宙を求めるがゆえに、自分と反対の気質をもつ人々は、世界の性格と調和しないものと考える。
・合理論者と経験論者の対立。経験論者とは、「ありのままの雑多な事実を愛好する人」、合理論者とは、「抽象的な永遠の原理に偏執する人」。もっとも、誰もが事実と原理の両方をもつのであり、対立は重点の置き方の違いなのだが、重点を異なるところに置く人々の間に性質の反目を育成する。「経験論者」気質と「合理論者」気質とおおまかにいえば便利。
・プラグマティズム。合理論―経験論:原理―事実。主知主義―感覚論:理想主義的・楽観論的な傾向―唯物論的な傾向(楽観論であっても条件付き)。一元論的、全体と普遍から出発し、事物の統一 ― 部分から出発し全体を一つの集合とみなす、多元論的。等々
15:「軟らかい心tender-minded」と「硬い心tough-minded」
16:「世界は一面から見れば疑いもなく一つである、しかし他面から見ると同じく疑いもなく多である。世界は一にして多である―一種の多元論的一元論を採らざるをえないではないか。」
17:経験論と事実と科学と宗教:経験者的傾向を帯びた人が多く出現した時代。子供たちはほとんど生まれながらにして科学的。しかし、事実を尊重するからといって一切の宗教心が打ち消されるわけではない。事実を尊ぶ心それ自身がほとんど宗教的。その生まれながらの科学的気質は敬虔なもの。
18:このようなタイプの人は、1906年にあっては、事実も科学も宗教も求める。
18:経験哲学は宗教的でない。宗教哲学は経験的でない。
18:過去150年の科学の進歩は、物質界を拡張し、人間の地位を引き下げた。そのため、自然主義的感情もしくは実証主義的感情が成長した。唯物論的に説明できる。理想でさえ生理状態の不活発な副産物に過ぎない。唯物論的宇宙。硬い心の人はこれのみが自分の性に合う世界としてくつろぎを感じる。

絶対的観念論と神論
19:宗教的方面、軟らかい心。宗教哲学①:急進的、攻勢的。②戦いつつ徐々に退却するもの。
“①イギリス・ヘーゲル学派の超越論的観念論。グリーン、ケアード兄弟、ボザンキット、ロイス。汎神論的。
→プロテスタンティズムにおける伝統的な有神論の鋭鋒を鈍らせている。”
“②この有神論は、譲歩を重ねてきたが、なお生き残っている。スコットランド学派の哲学。戦いつつ徐々に退却する風のある哲学。
→一方では①のヘーゲル派ならびに「絶対」を説く他の哲学者たちの侵略、他方では、「硬い心」の科学的進化論者ならびに不可知論者たちの攻撃を受けている。
ジェームズ・マーティノー、バウン教授、ラッド教授。折衷的、妥協的。和解策を求める。”

絶対的観念論の気質
20:軟らかい心なら、これら2つの体系のどちらか。合理論、主知主義。唯物論を免れるが、人生の具体的な部分との接触を失う。絶対主義的な傾向の強い哲学者たちは高度の抽象の世界にいて、下界に降りてこない。絶対的精神の観念からは現実的特殊的なものは演繹できない。絶対的精神はこの下界で真とされるものならいかなる事態にも適合する。
21:有神論的な神も同様。神の現実的な性格は、神の創造した世界に。有神論的著者たちの神も、絶対者と同様、純粋に抽象的な高みに住んでいる。絶対主義は活気がただよっているが、有神論は無気力。
21:どちらも現実から離れ、空漠。諸君の求めるものは、知的な抽象力を働かせることを要求する哲学ではない。有限なる人間生活のこの現実的世界とある積極的な関係を結ぼうとする哲学である。
21:二つのものを結合せしめる一つの体系を要求している。A. 事実に対する科学的忠実さと事実を進んで尊重しようとする熱意、適応と順応の精神。B. 宗教的タイプであろうとロマン的タイプであろうと、人間的価値に対する古来の信頼およびこの信頼から生ずる人間の自発性。
21:A. 非人間主義と非宗教主義を伴う経験論。B. 合理論的哲学、宗教的(具体的な事実や歓びや悲しみとの明確な接触を排斥。
21-26:合理論的体系における非現実性についての補足説明。ライプニッツ。『弁神論』。
26:現実の世界は広く開かれたものである、しかるに合理論は体系を作ってしまう、しかも体系は閉じられたものでなければならないのである。完全=遠くに離れてあるもの、近づいてゆかねばならない。合理論からみれば、有限なもの相対的なものの幻想。事物の絶対的な根拠は永遠に全き完成。
27:合理論への反駁。スウィフトMorrison I. Swift。
30:経験論、唯物論的。合理論、宗教的。

プラグマティズム、一致の感じ
30:両者の要求を満足させる一つの哲学:プラグマティズム。合理論と同様、宗教的であると同時に、経験論のように事実との最も豊かな接触を保持する。
32:学者的な哲学、抽象的な哲学の批判。
33:「哲学者の体系を詳細に研究すると、その結果として実際われわれは彼についての印象を受けるが、われわれが好悪の反応を示すものはじつはこうして受ける印象に対してなのである。」自分の哲学と体系の不一致の感じ。「宇宙のもつ或る全体としての性格について、また自分の知っている特別な諸体系がそれとしっくり合致していないことについて、自分なりの感じをもっている。」いろんな哲学(⇒ジェイムズの記述の中立性。)
34:「われわれ哲学者たるものは、諸君が抱かれるそういう感じを考慮しなければならない。繰り返していっておくが、すべてわれわれの哲学を最後的に裁くべきものはそういう感じなのである。最後の勝利を占めるものの見方は、普通人の心にもっとも完全な印象を与える力をもった見方であろう。」
35:スペンサー。弱点。しかし、尊敬を呼び起こす。スペンサーの心が哲学的に正しい位置にあると感ずるから。事実の引用はとどまるところを知らない。彼は事実を強調し、事実の世界に面を向ける。
35:プラグマティズムの哲学も事実との親密な関係を保つ。しかも、スペンサーと違って、宗教組織も親身に偶する。この哲学こそ調停的な思考法である。

第2講 プラグマティズムの意味

37:形而上学的な論争。木の回りを駆け回るリスと人間の例。「まわりを廻る」が実際にどういう意味でいっているか実際的にどう考えるか。
38:プラグマティックな方法。形而上学上の論争を解決する一つの方法(⇒ジェイムズは、形而上学を現実の事実に結びつけようとしていたとみえる。)
38:世界は一か多か?宿命的か自由か?物質的か精神的か?
39:プラグマティックな方法とは、「各観念それぞれのもたらす実際的な結果を辿りつめてみることによって各観念を解釈しようと試みるものである。」ある観念の真、実際上の違い、実際的な差異。論争の解決。
39:プラグマティズム:ギリシア語のプラグマから来ていて、行動を意味し、英語の「実際practice」および「実際的practical」という語と派生を同じくする。この語がはじめて哲学に導き入れられたのは、1878年チャールズ・パースによってであった。『通俗科学月報』1月号掲載「いかにしてわれわれの観念を明晰にすべきか」(1879年1月の『哲学評論Revue Philosophique』(第7巻)に訳載されている)。パース:われわれの信念こそほんとうにわれわれの行動を支配するものである。およそ一つの思想の意義を明らかにするには、その思想がいかなる行為を生み出すに適しているかを決定しさえすればよい。その行為こそわれわれにとってはその思想の唯一の意義である。思想の差異、実際上の違い、実際的な結果、結果、概念の全体。
40:パースの原理、プラグマティズムの原理。
40-41:具体例:ライプチヒの化学者オストヴァルトの科学の哲学。「もし二者のうちこれか或いはあれかが真であるとしたら、世界はいかなる点で異なってくるであろうか。もしなんら異なりの生ずるのが見られないとすれば、その場合どちらか一方を択ぶということは意味のないことである。」(cf. ライプニッツの不識別者同一の原理。)水素原子。ブラウニーと呼ぶかエルフと呼ぶかのように架空の論。(cf. リスは廻っているかの論争の例。)
42:差異を作らない差異なるものは存在しない。差異、行為。
42:プラグマティックな方法には何も目新しいものはない。ソクラテスもアリストテレスも…プラグマティズムの先駆者。但し、断片的。前奏者。一般化されてこなかった。
43:プラグマティズムはなんらか特殊な結果を表すものではない。ただ一つの方法であるに過ぎない。しかしこの方法が成功すれば、哲学の気質に変化が起きるだろう。極端な合理論的タイプの教師たちは、いたたまれなくなる。「科学と形而上学とは更にいっそう接近し、事実において全く相提携して働くに至るであろう。」
44:形而上学はこれまで原始的な種類の研究に従うのが普通であった。魔術、妖精、魔神、悪魔、魔力。言葉が大きい役割を果たしてきた。言葉もしくは名前が照明力あるいは動力を与えてきた。その言葉は宇宙の原理。この言葉の所有が宇宙そのものの所有。「神」「物質」「理性」「絶対者」「エネルギー」は謎を解こうとする名前。これさえ得れば、形而上学的研究の目的は達せられた。
45:プラグマティックな方法に従えば、そういう言葉を得て研究が終わりとは考えられない。そういう言葉の実際的な掛け値のない価値を明示して、諸君の経験の流れの中に入れて実際に活用してみなければならない。かかる言葉は解決であるよりもむしろこれからの仕事のためのプログラム。現存の実在がそういう風に変化されてゆくかもしれないその方向の暗示だと思われる。
45:学説は、安息できる謎の解答ではなくて、謎を解くための道具であるということになる。学説の上に安住することなく、前進する。プラグマティズムは、それぞれの学説を互いに円滑に働かせようとする。新しいものではないから、古来の哲学的傾向と調和する。名目論とも功利主義とも実証主義とも。(…「ただ言葉の上だけの解決や無益な穿鑿や形而上学的な抽象を軽蔑する点において実証主義と一致する。」悪い意味での形而上学をこのように暗示している。)
45:これらは反主知主義的傾向のもの。プラグマティズムは合理論と戦えるが、特殊な結果を目指して戦うものではない。それは、その方法のほかになんら定説も主義ももっていない。それは、ホテルの廊下のように、学説の中央に位している。無数の室がある。無神論、信仰、化学者、理想主義的な形而上学の体系、形而上学の不可能の証明…。(ジェイムズの中立性がここにもある。形而上学も学説の一つ!?)
46:プラグマティックな方法は、特殊な結果ではなく、定位の態度であるに過ぎない。すなわち、最初のもの、原理、「範疇」、仮想的必然性から顔をそむけて、最後のもの、結実、帰結、事実に向かおうとする態度なのである。
46:真理論。帰納的論理学。諸科学を発達せしめた諸条件の研究。自然の法則や事実の要素、斉一性、法則。全能なる神の永遠の思想。
47:しかし科学が更に進歩を遂げるにつれて、われわれの有する法則の大部分は、否おそらくは全部が、単に近似的なものであるに過ぎないという考えが有力になってきた。研究者は、どの学説も絶対に実在に写したものではなく、ただ或る見地からみれば有用でありうるというに過ぎないと考えるようになってきた。これら諸説の大きい効用は古い事実を要約し、新しい事実に導くことにある。諸説は所詮、人造語。
48:人間の恣意が科学的論理学から神的な必然性を駆逐した。ジークヴァルト、マッハ、オストヴァルト、ピアソン、ミロー、ポアンカレ、デュエーム、リュイッサン。
48:シラー、デューイ。科学的論理学。われわれの観念や信念における「真理」は、科学においていわれる真理と全く同一のものである。つまり、真理とは、観念(それ自身われわれの経験の部分に過ぎないものであるが)が真なるものとなるのは、この観念によってわれわれの経験の他の部分との満足な関係が保たれうるからであり、経験の他の諸部分を統括することができるし、また無限に相次いで生ずる特殊な現象を一々しらべなくとも概念的近路を通って経験部分の間を巧みに動きまわれるからである、というにほかならない。関係、道具。「道具的」真理観(デューイ)、シラーの真理観(われわれの観念が真理であるというのは、その観念が「働く」力をもっているということであるとする見方である。
49:このような一般的概念の把握に至ったのは、地質学者や生物学者や言語学者の例に倣ったまでのこと。これら他の諸科学が科学として確立されるに成功した所以は、・・・目の前に観察できる何か簡単な現象をまず捉えて、それをあらゆる時代にあてはめながらそれを一般化し、そうしてもろもろの時代に通ずるその結果を加え合わせて大きな結論を引き出す、ということにあった。
49:一般化を試みようとした、観察のできる課程は、誰でもが新しい意見を抱くようになるときに辿るところの過程である。旧い意見のストック、旧い意見を動揺させる新しい経験、旧い意見の否定、矛盾、相容れない事実、満足できない欲望、内的な苦悶。一群の意見の修正。
50:しかし修正はできるだけしないですませようとする。なぜか。信念、保守主義者。この意見を変え、次にあの意見をと進んでいく。旧い意見は変化しまいと抵抗する。そのうち旧い意見のストックに加えてもそれをかき乱すことがない一番少ない或る新しい観念、すなわち旧い意見のストックと新しい経験とをとりもって、両者をつきまぜ、不都合を感じさせない観念が浮かび出てくる。
50:この新しい観念が真なるものとして採用される。極端でないものを見つけるまでは探し回る。旧い秩序を大部分残す。新しい真理とはつねに心の変遷過程の媒介者、調停者である。最小の動揺と最大の連続性。一つの理論が真であるかは「最大と最小の問題」をどの程度解決し得ているかに比例して計られる。満足。
51:旧い真理の演じた役割。人を支配している。旧い真理に忠実であることが第一原理、唯一の原理。新奇な現象を無視するか罵る。
51:真理成長の過程の実例。新しい種類の事実、もしくは種類は旧いものと同じであるがただ目新しいだけの事実を、われわれの経験にただ数的に加えてゆく場合―旧い信念の変化を少しも含まない附加である。日々の内容は単に附加されるだけである。附加される新しい内容それ自身が真であるのではない、それは単に来てそして在るだけのことである。真理とはその新しい内容contentsについてわれわれが語るところのものである。新しい内容が来たとわれわれがいう時、真理の要求はかかる簡単な寄せ算的公式によって満たされるのである。
52:ラジウムの例。エネルギー保存の法則。「潜在的」エネルギー。ヘリウムの発見。ラムゼー。旧いエネルギー観を拡張するものではあるが、その本質については、最小限度の変更しか惹き起していないからである。
新しい意見は、新しい経験を、ストックされている信念に同化せしめようとする個人の要求を満足させる程度に正比例して、「真」と考えられる。新しい意見は旧い真理に頼るとともに新しい事実を捕らえねばならない。各人の評価の問題。だから、旧い真理が新しい真理の附加によって成長してゆくといっても、主観的理由による(つまり、各人の評価)。心的作用。新しい観念はその働き方によって、みずから真なるものとなり、みずから真なるものの列に加えられゆく。旧い真理体に移植され、その成長は木が新生組織の新しい繁殖の活動によって成長するのと同じ。
53(p.515):デューイ、シラー。観察を一般化。旧い時代の真理に適用。それらの真理もかつて形成されたもの。なおいっそう旧い時代の真理と、その当時においては新奇であった観察との調停の訳を果たした。客観的な真理、それを確立するにあたって経験の先立つ部分と新しい部分とをめあわすことに人間的な満足感を覚えさせるという機能がなんらの役割をも演じなかったというような真理などは、どこにもありえない。「真である」とは仲人役を意味するに過ぎない。
様々な真理。真理は旧び、化石化する。しかしどれほどふるい真理であっても、柔軟性に富んでいる、ということが、論理学的・数学的観念の変化、否、物理学さえの変化によって示されている。古代の諸方式は、広範な諸原理、現在の形や方式に至るとは夢想だにしなかった諸原理の特殊な表現として解釈し直されている。
54:シラー。このような真理観全体に人本主義Humanismという名前を与える。プラグマティズムという名前の方がよい。
プラグマティズム:第一に方法、第二に真理といわれるものの発生的理論。
このあとの要約。常識、思想、真理の発展における主観的な要因と客観的な要因。
55:シラー、デューイ。合理論の批評。合理論:絶対的実在とわれわれの思想との絶対的な一致。無条件的にそう考えるべきもの。心理学ではなく、論理学。
プラグマティストは事実と具体性に執着。真理を特殊な場合場合におけるその働きに着目して観察し、一般化していく。合理論者は真理は常に一つの純粋な抽象概念。
56:プラグマティストは、なぜ我々がそれに従わねばならないかの理由を説明。合理論者は、抽象概念がとりだされた具体物を認められない。×具体性。
プラグマティズムの具体性と事実への近接性が、プラグマティズムの最も首肯できる特徴。この点で、それは、既に観察されたものによっていまだ観察されないものを解釈するという姉妹諸科学の例にならうに過ぎない。旧きと新しきを調和的にひき合わせる。
57:プラグマティズムは経験論者的な考え方と、人間存在のより宗教的な要求をうまく調和させる。
当世は事実を重視しない観念論の立場に立つ哲学。観念論哲学は主知主義的。有神論は神を高いところにいる君主のように考えている。神の巧みな設計をみようとしていたいときは具体的な現実との接触を保っていたが、ダーウィン説が「科学的な」頭脳から神の設計を取り除いてからは、足場を失った。内在的な、もしくは汎神論的な神の方が歓迎される。哲学的宗教にあこがれる人たちは、観念論的汎神論に向かいつつある。
58:しかし事実の愛好者、経験論的な心の持ち主である限り、汎神論とは同化しがたい。純粋な論理の上に打ち立てられた絶対主義で、具体性とは関係をもっていない。神の身代わりの絶対精神こそ、事実の特殊性の合理的な予想条件である。絶対者が事実を生み出す。
59:プラグマティズムは、事実に執着するといっても、唯物論的偏見をもっていない。抽象物が現実的に実りを結ばせる限り、抽象物を作り上げるのに異議をさしはさまない。神学も否定しない。その諸観念が具体的生命にとって価値を有することが事実において明らかであれば、それらの観念はその限りで善である。そして真である。
プラグマティズムの立場から解釈すると、先験的観念論でいう絶対者は、尊厳なもの、宗教的な慰め。その限りで真。絶対者の信者、彼らの信仰:絶対者にあっては有限なる悪は「制圧されている」。宇宙は個々の成員が時には心のはりをゆるめてよい組織体。絶対者の現金価値。
61:観念は、それを信じることが我々の生活にとって有益である限り「真」である。有益である限りで善。観念の助けを借りてなすことが善であれば、観念自身も善。真理は善の一種。真なるもの、信仰、善。よき生活、その観念を信じる、利害と衝突する場合を除いて、よりよい。
62:「それを信じる方がわれわれにとってよりよいもの」:真理の定義。「われわれの信ずべきもの」とほぼ同じ。よりよきものと真なるものは引き離せない。
63:よりよいものは、その信仰がたまたまわれわれの死活を決するような他の利害と衝突するような場合を除いては真である。それは、はじめに抱いていた信仰と両立しないとわかる他の信仰によって与えられる利益なのである。いいかえると、われわれの真理のどれでもの最大の敵は、われわれが現にもっている真理以外の真理であろう。絶対者への信仰:衝突の例。ジェイムズの別の真理と衝突する。
64:論理、形而上学上の逆理?違う。ジェイムズなら人生の苦労。絶対者を放棄。精神の休暇を採用するか、別の原理を正当化するか。
プラグマティズムは仲介者、調停者。いかなる偏見もドグマも準拠となる条規もない。宗教の領域では、実証主義的経験論と、宗教的合理論よりも有利な地歩をしめる。神の探求の範囲を拡大する。論理も感覚も、個人的な経験も。神秘な経験もそれが実際的な効果をもっている場合には考慮する。
65:神の探求の範囲を拡大する。合理論、経験論、論理、個人的な経験。神秘経験。プラグマティズムの真理の公算を定める唯一の根拠は、われわれを導く上に最もよく働くもの、生活のどの部分にも一番よく適合して、経験の諸要求をどれ一つ残さずにその全体と結びつくものということである。

第3講 若干の形而上学的問題のプラグマティズム的考察
第4講 一と多
第5講 プラグマティズムと常識
第6講 プラグマティズムの真理観
第7講 プラグマティズムと人本主義
第8講 プラグマティズムと宗教

経験論者的傾向、科学的、事実、宗教心、宗教的、物質と科学の進歩、唯物論、かたい心、宗教、柔らかい心(訳17~19)
合理論(訳21)非原理実的、理性の原理、大理石の神殿(訳22)
現実の世界の説明ではなく、聖堂であって、慰安を求める避難所、逃げ道(訳22)
気質、主知主義、非現実的な体系(訳23)
合理論は体系を作ってしまう、しかも体系は閉じられたもの、完全、完成(訳26)
スウィフト、絶対者、ロイス、ブラドリー、秩序の完成、不調和を抱擁して豊か、宗教の無効力(訳28)
設計図あって、ケルンの大伽藍は建てられた(訳31)
気質は、好悪にしたがって哲学を選ばせる、ぴったりと合う感じ(訳32~33)
真理、順調に運ぶ観念、道具、新しい意見、真理成長(訳48)
絶対者のプラグマティズム的解釈(訳59)
真、信仰、善、歯や胃に善きもの、よき生活、信じる、死活の利害衝突以外のよりよい=他の信仰による利益との衝突、真理以外の真理(訳62)
合理論は論理と天空に執着する。経験論は外的な感覚に執着する。(訳65)
物質か精神か、実際上の違いは?過去については変わりはない。(訳75)
将来のプログラム、世界は何を約束するか、未来展望(訳79)
宇宙進化の将来の果て、死の悲劇、何も残らない(訳80)
唯物論は道徳的秩序の永遠の否定と希望の切断、唯心論は希望の飛翔(訳83)
絶対的なもの、究極、包括は哲学的な関心事、優れた精神は感じている、唯心論は約束の世界、唯物論は失望の海(訳84)
自然界の設計、キツツキと幼虫、設計の存在証明、設計された目的、ダーウィン説、不適合で滅ぼされた結果、自然の浪費の莫大さ、悪意の設計者、観点、幼虫にとって悪魔(訳84)
神学者、ダーウィン、目的論と機械論、私の靴の設計者、設計が何であるか、設計者の立証、空虚な原理である設計(訳87)
設計という抽象語は空弾、いかなる設計か、いかなる設計者か、事実の研究がおおよその解答を得る唯一の方法 、事実を研究し設計者があると確信する人はプラグマティックな利益を得る、設計は、将来を約束する名辞となる(訳88)、未来への展望
自由意志も、絶対者、神、精神、設計と同様、約束説、内容はない、楽園だったら思弁への興味を冷却する、宗教的な形而上学への関心 、事実において経験的な未来が不安定を感じさせて保証を要求するから(訳92)
善くなるかもしれない可能性、主知主義者の意味だと暗闇で意義がないが、ほのぼのと明るくする=プラグマティズム 合理論の定義はいらない、前方に目を向ける、死活の問題は世界がどうなっていくか、人生はどうなるか、事実の世界、科学的な人々によって哲学の問題が論じられる

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