G. サンタヤナ

◆ジョージ・サンタヤーナ(George Santayana)1863-1952

[伝記]
アメリカの哲学者、詩人、文芸評論家。

スペインのマドリードに生まれる。両親ともスペイン人だが、彼の母親は、ジョージの父親と結婚する前に、ボストン人のロバート・スタージス(1857年死亡)と結婚していた。スタージスとの間には3人の子供がおり、スタージスの死後は子供たちをアメリカで育てる約束をしていた。彼女は、スペイン人である2番目の夫と結婚してジョージの母親となった後、1869年に、3人の子供たちをスペインからボストンに連れてきた。ジョージは母親を追って、その3年後に渡米した(1872年)。

1882年には、ハーバード大学に入学し、学生を終えた後は、1889年にハーバード大学哲学部に任用され、ジェイムズ、ロイスの同僚となった。この国で精神的になじめない40年を過ごしたあと、1912年、アメリカを立ち去り、ローマで没するまでの40 年間をイギリスならびに大陸で暮らした。その間もアメリカ思想界への影響力を保持し続け、著名な文学者、哲学者としてローマで生涯を終える。

その生涯が象徴するように、彼はヨーロッパとアメリカ双方の思想伝統を混在させた独特の思想を展開した。また、小説(The Last Puritan, 1963)がベストセラーとなるなど、哲学者としてだけでなく作家や詩人としてもその名を知られる。長期にわたる国外生活にもかかわらずスペイン市民権を生涯手放さなかったサンタヤーナは、最初の重要なラテン-アメリカ人哲学者であるといえる。

[概要]
・神や不死、究極原因の存在を信じることを拒否した。一切の因果的説明は、物理学的であると彼は考えていた。

・デイヴィッド・ヒュームとともに、真理はただ2種類、すなわち経験によって確立されるものと、意図あるいは意味の分析によって確立されるものとしか存在しないと考えていた。

・エマソンを「もともと哲学者ではなくて、詩的想像力ならびに観察と警句の才のある、清教徒の神秘論者」であると信じていた(Santayana, “Emerson,” Interpretations of Poetry and Religion, New York, 1922; 1st ed., 1900, p. 230参照)が、エマソンがそのようなアメリカ観念論の賢者だとすれば、サンタヤナは、同様の才のあるアメリカ唯物論の賢者であった。

・ウィリアム・ジェイムズを「お上品な伝統The Genteel Tradition」と手を切った最初の偉大なアメリカの哲学者とみなした。それほど親密になることはなかったが、本質的に非アカデミックな人格の持ち主で、広い同情心をもった人物で、心ならずも教授の地位にある人物とみて、称賛していた。ジェイムズの教授らしからぬアプローチをサンタヤーナは称賛した。

・『理性の歴史』(Life of Reason, 1905-06)は、ハーバード大学での歴史哲学講義を、西洋文明の主要な業績の解剖と評価に改作した5巻本。ギリシア人たちに依拠した自然主義的展望によって貫かれていた。『常識における理性』(Reason in Common Sense)、『社会における理性』(Reason in Society)、『宗教における理性』(Reason in Religion)、『芸術における理性』(Reason in Art)、『科学における理性』(Reason in Science)からなる。のちに、1922年、『理性の歴史』に新たな序文を書くことになったとき、彼は、自分の後期の著述の中では、「自然が前面に出て、理性の歴史は……引っ込んでしまっている」と述べている。また、「人間の信念の変遷は」、以前ほど彼の心を奪わなくなったとも述べている。

・『理性の歴史』でやろうとしたことについてのサンタヤーナの構想は、歴史に関わる著述の区別していることの中で明らかにされる。まず、生起したことそのままの陳述に終わる過去の探究がある。すなわち、年代記である。また、物理学的理論に委ねられるべきであると彼が考えた、歴史的原因を確かめようとする努力がある。最後に、人が尊重する過去のものごと、「人間進歩の諸段階」(『理性の歴史』の副題でもある)を、提示したり評価したりする努力がある。3番目の努力は、歴史の法則を求めようとするものではない。そうするにあたって哲学者は、「友人を見つけ出そうとして群衆を吟味する場合と同様に、自身の理想の例証に役立つものなら何であれ、いろんな出来事の中から抽出する」ために、それら出来事を吟味する。それは、本来、実質的道徳哲学の一部をなすものであり、科学・宗教・芸術といった類いのものが歴史の中で発生したのは、なぜ善いことであるかを述べるために、それらを評価しようとする試みなのである。そのためには、先に、それが何であるかを知っていなければならない。『理性の歴史』のかなりの部分が、科学、宗教、芸術の性質の分析に費やされている理由である。

・サンタヤーナの宗教哲学および『理性の歴史』の主要テーマの一つは、宗教的な人は、科学の成果を恐れる必要も、唯物論哲学の帰結を恐れる必要もなく、宗教の言語は、科学あるいは唯物論と矛盾のない道徳的真理を詩的に表現するものであると解釈しうるという点にあった。『詩と宗教の解釈』の序文の中で、「宗教的教理は、事実問題を取り扱っているかのごとき見せかけを撤回するがいい。このみせかけは、たんに、宗教と科学の矛盾の、また諸党派の、無駄で激しい論争の源となるばかりではない。それはまた、おのれを是認してくれるものを実在の領域に求め、それ固有の関心が理想を表現することにあることを忘れる時、魂における宗教の不純さと一貫性のなさの原因ともなる」と警告している。それでも、科学と宗教の対立の解決には、次の2点がある。1.多くのキリスト教徒たちは、彼らの教理を文字通りに解釈してきたし、いまも解釈しているということを彼は否定したくなかった。「ある特定の宗教が、経験の詩的な変形であるといわれても、その宗教がそのようなものと実際に考えられた、と私たちは想像してはいけない。というのは、すべての真のキリスト教徒が、キリスト教の叙事詩に含まれるすべての事柄を文字通りの実在であり、かつ経験的な実在であると信じていたことは、明らかだからである」と彼は警告した。信者たちは、キリスト教の教理を、科学的真理と対立する神学上の命題を表現するものであると解釈したが、この対立こそが、神学上の命題が誤りであることを示しているということだった。サンタヤーナは、科学との対立の中におくことになる、致命的な文字通りの解釈を宗教に背負わせないように、むしろ詩的に人々を動かすといった仕方で真の道徳的命題を表現するものとしてそれを解釈するように、私たちに求めるのである。

・サンタヤーナは、起源と価値の間にある違いに訴えた。どのような宗教であれ、道徳的真理を伝えようとする努力から宗教が起こるわけではない、という。道徳的真理は、宗教が確立されてしまったあとで知られるようになるのであり、それが、理性の歴史の中で宗教に価値を与えるものである。ダーウィンの用語を利用しながら、サンタヤーナは、「道徳的意味とは、迷信からの一つの自然発生的変異である。そしてこの変異は、宗教という形をとって、その生存を確実なものにしてきたのである」という。予言者たちは、自分たち自身のことを寓意的に語る者だとは考えなかったかもしれないが、彼らの言葉は、彼ら以外の人々からは、何らかの人間的関心に自己を託した道徳的見識の表現として読まれたのであった。宗教は、「心理学的にではなくて道徳的に、またその起源においてではなくてその価値において、迷信と異なるものである」というのが、サンタヤーナの結論であった。「この価値は……人を動かす要因となり……出来事の進化に寄与するものとなる。」

・2.サンタヤーナは、宗教が、科学的真理を表現するものではなくて、むしろ道徳的真理を表現するものとして受け取られるべきだと主張した。ただし、道徳的真理を一種の科学的真理とみなしていることによって、多少わかりにくくなっている。彼は、倫理学上の自然主義者といってもよく、倫理学の命題を心理学ないしは社会科学の命題と同一視しうると考える。とはいえ、そのような道徳的命題は、たとえ広義に自然科学的命題であるとしても、6日間の世界創造とか、復活、不死を文字通りに主張する命題のような、偽である物理学的命題にはならないと考えられる。宗教に関して善いとか悪いというとき、科学的な道徳的命題を比喩的に表現するものであること、また、美的に訴えたり拒絶するといった仕方でそれらの命題を表現するものであることを意味している。

・宗教は道徳的真理を比喩的に表現する。そのような表現の仕事が、サンタヤーナのいう「価値の科学」である。サンタヤーナは、道徳的陳述は経験的である主張する。それゆえ、ムーアの『倫理学原理』の、善さgoodnessは経験的でない非自然的な特質であるという見解を拒否する。『理性の歴史』によれば、進歩の一般的試金石は、「私たちの行為の影響を受ける精神共同体の中での可能な最大の満足へと導く」諸衝動の調和と協同が達成されているかどうかということである。つまり、私たちが行為を正しいと主張するとき、私たちは、それは満足へと導くという事実に訴えているのである。彼によれば、「満足は価値の試金石である。それと無関係に語られる一切の善と悪、進歩と退廃にかかわる事柄は……純然たる詭弁であるにすぎない。……」

・価値、道徳的理想を満足と結びつけながら、サンタヤーナは、「理想は実在が特定の知覚作用に対してもっているのと同じ関係を、特定の要求に対してもっている」といい、「理想を前にして、個々の要求はみずからの権威を喪失し、個々人があこがれるかもしれない善きものは、絶対的であることを止める。それどころか、欲求の充足は、実現されるべき理想と比較もしくは対応されるとき、どうでもよいもの、あるいは邪魔なものとみえるようになる。……」という。「Xは望ましい」といった類いの陳述も、パースが、「Xは本当に赤い」を「Xは白日光の中でそれをみる正常な視力の持ち主には赤くみえるであろう」と同一のことを意味しているとした見解に、サンタヤーナが賛同し、これと類比的に分析されうると考えたいたようにみえる。「もし理想が個々の欲求と対面しそれらを屈服させることが可能ならば、そのようなことが起こるのは、理想がより深い、より大きい欲求の目標であり、かつ個々の欲求が盲目的に、またおそらく気まぐれに追求する善きものを具現するものであるからにすぎない」。しかし、ここで「より深い、より大きい欲求」とは何か。ロイスなら、それを絶対者によって経験されるものというかもしれない。しかし、サンタヤーナは、そのような言い方に価値の問題を解決する資格はなかった。知覚のように「Xは望ましい」を「Xは、Xへの欲求が深くて大きい人によって望まれている」という陳述へ言い換えても、自然主義的陳述へと言い換えているとはいえないのではないか。「深いこと」「大きいこと」といった概念が価値概念で、非自然主義的価値語が含まれるからである。

・サンタヤーナは、倫理学上の自然主義者として、倫理学的陳述は科学的にして、かつ経験的であると主張しているようにみえる。

・『理性の歴史』、ソクラテス的方法、「その人が実際に評価しているものこそ、……その人の行為を導くはずのものなのである」。「私は実際には勇気を重んじている」、「勇気は善いものである」。

・永遠に不変で論証的で数学的な真理と物理学の偶然的真理との間に鋭い区別を立て、「演繹、物理学、論証、科学の理想、機械論的に表現、機械論が物理学の理想」。自然主義とプラトン主義。

・祈りの「本質は、詩的で、表現的で、瞑想的である。人々がそれを二人の対話者間の散文的で、交渉的な意見の交換たらしめることを主張すればするほど、それは次第に無意味なものとなる」。「神話的思惟は、実在の中にその基礎をもっているが、植物と同様に、地面にふれているのは一方の端だけである。…」神。伝統的神学の拒否。

・サンタヤーナと、エマソン、ロイス、パーリントン

・サンタヤーナは、詩人であった。小説家、文学評論家。人文主義者、文明の哲学者、アメリカ唯物論の賢者。

・サンタヤーナの思想には初期のヒューマニズム思想と後期の存在論とがある。サンタヤーナは後年になって自身の前期思想を拒否したけれども、「本質」と「実在」とを区別し、道徳と自然とを調和させようとする傾向は後期においても一貫している。後期存在論において、彼は懐疑によって観念や本質を現象にすぎないものとする。しかし、観念の背後に実在や物質を想定しない限りで、所与の観念は真でも偽でもない純粋な本質として成立するとし、それらに物質や実在とは異なる存在領域を認める。対して、色や痛みといった単なる所与以上のものとして、それらを裏付ける実在的な物を想定することは、もっぱら本能的、動物的な信念によってのみなされる。サンタヤーナにとって、直接的で明白な所与とはすべて観念や本質であって、物質が意識に直接現れることはない。実在物は知られるのではなく本能によって信じられる対象なのである。サンタヤーナの哲学が〈自然化されたプラトン主義〉と呼ばれたり、デューイによって「背骨の折れた自然主義」と評されたりするのは、それが人間認識の成立を動物的信念によって説明する限りにおいて自然主義的であり、純粋な観念に存在領域を認める限りにおいて理想主義的であるためである。

[主要著作]
Sense of Beauty, 1896
『詩と宗教の解釈』Interpretation of Poetry and Religion, 1900
『理性の歴史』Life of Reason, 5 巻, 1905-06:ハーバード大学での歴史哲学講義を、西洋文明の主要な業績の解剖と評価に改作した5巻本。ギリシア人たちに依拠した自然主義的展望によって貫かれていた。『常識における理性』(Reason in Common Sense)、『社会における理性』(Reason in Society)、『宗教における理性』(Reason in Religion)、『芸術における理性』(Reason in Art)、『科学における理性』(Reason in Science)からなる。
Three Philosophic Poets, 1910
『学説の諸動向』Winds of Doctrine, 1913
Egotism in German Philosophy, 1916
Character and Opinion in the United States, 1920
Three Proofs of Realism(in “Essays in Critical Realism”), 1921
Soliloquies in England and Later Soliloquies, 1922
『懐疑論と動物的信念』Scepticism and Animal Faith, 1923
Dialogues in Limbo, 1926
『存在の諸領域』Realms of Being, 1927-40
Platonism and the Spritual Life, 1927
Some Turns of Thought in Modern Philosophy, 1933
The Last Puritan, 1935(阿部知二・鵜飼長寿訳『最後の清教徒』上・中・下巻、河出書房、1939-41)
Persons and Places, 1944

[参考文献]
『哲学・思想事典』廣松渉ほか編、岩波書店、1998 年、592 頁。
『哲学事典』林達夫編、平凡社、1971 年、546 頁。
Matthew Caleb Flamm, “George Santayana”, Internet Encyclopedia of Philosopy,
http://www.iep.utm.edu/santayan/, (参照 2014-04-21).
Herman Saatkamp, “George Santayana”, Stanford Encyclopedia of Philosophy,
http://plato.stanford.edu/entries/santayana/, (参照 2014-04-17).
ジョージ・サンタヤーナ『哲学逍遥――懐疑主義と動物的信』磯野友彦訳、勁草書房、1966
年、346-353 頁。
モートン・ホワイト『アメリカの科学と情念―アメリカ哲学史思想史―』、村井実他訳、学文社、1982年、275~303頁。

(本ページのコンテンツは、本ウェブサイトの管理者の主宰する英米哲学研究会で作成したものです。特に本ページの作成に際しては清水友輔さんに協力して頂いています。)

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